■ 第1回 2008年1月12日掲載
トパーズ号の出航
私の船好きは小学5年生の時、アメリカのワシントン・ベアー号という貨客船に乗せて貰った時から始まる。煙突には熊の姿がデザインされた、それは美しい船だったのを覚えている。何とそれを機に私のスケッチブックは船の絵で埋められるようになる。

それから52年後、夫婦連れ立って憧れのハワイ航路、いや地球一周航路の船旅に参加する事になる。今でこそクルーズも盛んとなり、わが国でも「飛鳥」という有名な豪華客船が現れた。どんなに待ち望んだことか。ちなみに現在の「飛鳥」の小田キャプテンは私の中学の時の後輩だったことが判明し、先日、光栄にも食事をご一緒することが出来て、私としては大変誇らしく、嬉しいひとときであった。もう一人嬉しい友人で(元郵船のキャプテン)現在は関門海峡でパイロットをされている斉藤さんともご一緒した。船キチとしては、そのような友人が持てるということは幸せの極みである。

第二次世界大戦終了後、戦勝国であるアメリカでは、GIビル(兵士に与えられた特別報奨金)で好景気に沸き立っていた。そしてあの華麗な2本煙突で有名な客船、プレジデント・ウイルソン号がサンフランシスコと横浜間の定期航路として就航した。あの美しい雄姿が忘れられなくて、ある時期アメリカに住んでいた私は、帰国する前にその設計図を探し始め、運良く手に入った。そのコピーは要望があって横浜のマリタイムミュージアムに寄贈。今は懐メロとなったあの有名な「憧れのハワイ航路」のモデルになった客船である。余談だが、私も時にはカラオケに興じることがあり、その時決まって歌うのが、岡晴夫が歌うこの歌である。当時、日本人にとって船旅なんて夢のまた夢であったであろう。南米への移民船は例外として。

さて、本題の52年後の地球一周の船旅の話に戻ることにしよう。長期の船旅がこんなに面白いとは予想だにしなかった。退屈、船酔い…、誰もが思う事であろう。ところが、そんなものを吹き飛ばしてしまうぐらいに面白かった。昔、ラブボートというアメリカのテレビドラマのシリーズがあったが、まさにそれである。何が面白かったかというと人間関係。これほど面白いものはないだろう。

船旅といえば豪華はつき物であるが、リーズナブルな船旅があるのをご存知だろうか。それはピースボートである。私は20年ぐらい前からその存在は知っていた。巷の電柱などにポスターが張られていたが、当時研修船のイメージが強くて、勉強嫌いの私にとって不向きだと思い、興味がわかなかった。

しかし、この度、家内の方が興味を示してくれた。「それ、いいね」と2つ返事で決まってしまった。我々にとって前代未聞の長期の船旅。期待と不安が交錯して大変だった。まず、家内は、着替えなど荷造りに悩み追われ、私は船上で何か実になる事をせねばと考えてはみたものの、良い考えが浮かばず、手っ取り早いところで英会話、それとデッサンが苦手な私にとって1000人もパッセンジャーがいるのなら、何人描けるか、顔のデッサンに挑戦してみようと。トレーニングにもなるし。でも、いくら何でも1000人はちと無理だと思い、300枚の紙を買い込んだ。家内の方はと言えば、何とダンボール箱が私のも併せて6個。私は天を仰いだ。
 
そして、6月10日、乗船地である神戸港に着いた。いよいよ夢にまで見た、憧れの地球一周の船旅の始まりだ。ギリシャの客船トパーズ号は溢れんばかりの見送り客を後に汽笛を鳴らしながら、静かに桟橋を離れていった。発つ人と、見送る人とを繋ぐ色とりどりのテープも別れを惜しむかのように、寂しげにちぎれて波間に消えてゆく。(眞吾)